十字架とは

福音の中心

しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。 新約聖書 1コリント1:23a

福音、もちろんみんながよく知っていることばです。良い知らせ、グッドニュース。この福音の中心が十字架です。

ネックレスにクロスのネックレスがありますが、このネックレスは格好が良いですね。

金や、銀、その他の身を飾るのにふさわしい材料でできています。ふさわしく身に付けていると、すてきね、格好いいわ、とか言われてネックレスをつけている人の心をくすぐる効果があります。

しかし、ここで言われている十字架は、これとはまったく反対のことです。

恥の十字架 

私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人を初めギリシャ人にも信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。 新約聖書 ローマ1:16

私は福音を恥とは思いません。と言っているのは十字架の福音を最もたくさん伝えた使徒パウロです。

このように言っているのは多くの人が、福音を恥と感じていたことをあらわしています。

なぜ十字架の福音が恥と思われるのでしょうか。

罪人がつけられた十字架 

実は、イエス・キリストが誕生され神の国を宣べ伝えておられたこの当時、重罪を犯して死刑にされる時にこの十字架が処刑のために使われたのです。

十字架は極悪非道な死刑にされても仕方のないような者のために使われたのです。

この十字架に、主イエス・キリストがつけられて死んだ。というのが十字架の福音です。

 


イエスさまの十字架

イエスさまが十字架につけられたお話は知っていますが、どうしてイエスさまが十字架につけられたのでしょう。

私たちにはわからないことが山ほどあります。しかし、イエスさまが十字架につけられたことは知っていなければと思います。

私が受洗したのは1979年12月23日でした。

受洗をしてから32年と3ヶ月経ちますがいつ受洗したかすっかり忘れてしまっていました。

あの時、私は夢中で何もわかっていなかったかもしれませんが、ただイエスさまに捉えられていたのでしょう。

イエスさまに対する情熱と言いますか、純情と言いますか、それは今考えても熱く燃えていました。

今、イエスさまは私に何と言われるでしょう。

わたしは、あなたの若かったころの誠実、婚約時代の愛、荒野の種も蒔かれていない地での私への従順を覚えている。旧約聖書 エレミヤ 2:2

また、使徒パウロはコリントの人たちに対してこのように言っています。

私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなた方を、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。

しかし、蛇が悪だくみによってエバを欺いたように、万一にもあなた方の思いが汚されて、キリストに対する真実と貞潔を失うことがあってはと、私は心配しています。 新約聖書 2コリント 11:2、3

ここで、パウロが心配しているのは何でしょうか。

パウロは、イエスさまが十字架につけられた。そのことを中心にみんなに伝えていたからですね。

この後を読むと、そのことがはっきりします。

ですから、私たちはイエスさまが十字架につけられたことについて幼児になって、学んでいきたいと思います。