神の義とキリストの十字架

神は義なる神であられますから、神が義であられるように私たちにも義を求めておられます。

それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない」と書いてあるからです。 新約聖書 1ペテロ 1:16

これは神の律法を守ることを神が私たちに求めておられることと考えられます。

イスラエルの民族が出エジプトをしたとき神がイスラエルの民族に対して守るべきことを示されたのが、律法でした。

これは神がイスラエルの民族に守るように示しただけではなく、同じように、私たちにも示されているものです。

それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。

「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。

それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、

わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。

しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も――

それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。

あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」 旧約聖書 出エジプト記 20:1-17

このように私たちにこの戒めを守るようにとおっしゃいました。

しかし幸せになるべきこの戒めを、アダムが罪を犯して以来アダムの罪の性質を受け継ぐものとなっていた人間には、守ることのできない戒めとなっていました。

十字架の福音を伝えたパウロでさえ、自分で、この神の律法を守ろうとしたときに、すなわち行いで神の律法を全うしようとしたときに、律法を守ることのできない自分に絶望の叫びをあげるしかありませんでした

私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。

私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。 新約聖書 ローマ 7:18,19

パウロは善をしたい、すなわち神の律法を守りたいと言っています。しかし守ることができずに、そう願えば願うほどかえって、したくない悪を行ってしまうのですと言っています。

そこでパウロは絶望の叫びを上げるしかありませんでした。

私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。 新約聖書 ローマ 7:24

私たちは神の律法の前にだれもが、この叫びを上げざるを得ません。

私たちすべての人が、アダムが罪を犯したことによって、罪の下にあるからです。

それは、次のように書いてあるとおりです「義人はいない。一人もいない。」 新約聖書 ローマ 3:10

それでは、神はご自身の義をあらわすために神が御自身に似せて造られた人を裁き滅ぼしてしまわれるのでしょうか。

そうではありませんでした。

なんと、神は永遠の初めからご自身とともにおられたひとり子を世に遣わしてくださりその裁きをご自身の御子の上に下し、人をお赦しになられたのです。

これがキリストの十字架です。

しかし、ただ赦しただけではなく、新しい道を開いて下さいました。

それは、イエス・キリストを信じることによって律法を全うするという新しい道です。

しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。

すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。

すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、

ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、値なしに義と認められるのです。

神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。

それは、今のときにご自身の義を現すためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。 新約聖書 ローマ 3:21-26

信仰によって神の律法を全うするという新しい道です。

 

 

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