十字架のことば

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。 新約聖書 1コリント 1:18

十字架のことばは罪人に対する神のあわれみ故の救いのみことばです。

そして、この救いのみことばを受け取った人々は、神の全能の御力によって新しくされ、

神の救いと、恵みの中を生き生きとした望みを持って永遠に生きることができるようになりました。

しかし、自分を義とする人にとってはまったく無用なことばであり、

その人にとってはむしろ、邪魔な、うるさい、ことばでさえあります。

ここに、神のみことばに対するまったく相反する態度があります。

しかし、神は、使徒パウロを通してはっきりと宣言されました。

十字架のことばこそ、救いであり、神の力ですと。

だれも、滅びて良いはずがありません。聖書に次のように書いてあります。

神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。新約聖書 1テモテ 2:4

ですから、私たちは罪人に対する神のあわれみのみことばである十字架のことばを宣べ伝えます。

キリストは十字架にかかり三日目に復活されたことを、

今、わたしのことばをあなたの口に授けた。旧約聖書 エレミヤ 1:9

恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。新約聖書 使徒 18:9

神の義とキリストの十字架

神は義なる神であられますから、神が義であられるように私たちにも義を求めておられます。

それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない」と書いてあるからです。 新約聖書 1ペテロ 1:16

これは神の律法を守ることを神が私たちに求めておられることと考えられます。

イスラエルの民族が出エジプトをしたとき神がイスラエルの民族に対して守るべきことを示されたのが、律法でした。

これは神がイスラエルの民族に守るように示しただけではなく、同じように、私たちにも示されているものです。

それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。

「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。

それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、

わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。

しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も――

それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。

あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」 旧約聖書 出エジプト記 20:1-17

このように私たちにこの戒めを守るようにとおっしゃいました。

しかし幸せになるべきこの戒めを、アダムが罪を犯して以来アダムの罪の性質を受け継ぐものとなっていた人間には、守ることのできない戒めとなっていました。

十字架の福音を伝えたパウロでさえ、自分で、この神の律法を守ろうとしたときに、すなわち行いで神の律法を全うしようとしたときに、律法を守ることのできない自分に絶望の叫びをあげるしかありませんでした

私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。

私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。 新約聖書 ローマ 7:18,19

パウロは善をしたい、すなわち神の律法を守りたいと言っています。しかし守ることができずに、そう願えば願うほどかえって、したくない悪を行ってしまうのですと言っています。

そこでパウロは絶望の叫びを上げるしかありませんでした。

私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。 新約聖書 ローマ 7:24

私たちは神の律法の前にだれもが、この叫びを上げざるを得ません。

私たちすべての人が、アダムが罪を犯したことによって、罪の下にあるからです。

それは、次のように書いてあるとおりです「義人はいない。一人もいない。」 新約聖書 ローマ 3:10

それでは、神はご自身の義をあらわすために神が御自身に似せて造られた人を裁き滅ぼしてしまわれるのでしょうか。

そうではありませんでした。

なんと、神は永遠の初めからご自身とともにおられたひとり子を世に遣わしてくださりその裁きをご自身の御子の上に下し、人をお赦しになられたのです。

これがキリストの十字架です。

しかし、ただ赦しただけではなく、新しい道を開いて下さいました。

それは、イエス・キリストを信じることによって律法を全うするという新しい道です。

しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。

すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。

すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、

ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、値なしに義と認められるのです。

神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。

それは、今のときにご自身の義を現すためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。 新約聖書 ローマ 3:21-26

信仰によって神の律法を全うするという新しい道です。

 

 

キリストの十字架と復活

兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。

また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。

私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、

また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。

その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。

その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れました。

そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私たちにも、現れてくださいました。 新約聖書 1コリント 15:1-8

イースターの時が過ぎて私たちの気持ちが一区切りをつけたような状態になっているかもしれません。

しかし、イースターが過ぎようともパウロがコリントの人たちに言っているようにこの福音の中心は、キリストが私たちの罪のため十字架に架かり死なれたこと、三日後によみがえられたこと、そして、弟子たちにそのお姿を現されたことでした。

この福音から離れることなくしっかり保ち続け救いを全うしたいと願っています。

 

イエスが十字架についた理由

 

それではなぜ神のひとり子、主イエス・キリストが十字架につけられなければならなかったのでしようか。

全ての人が罪を持っている

イエスはオリーブ山に行かれた。

そして、朝早く、イエスはもう一度宮にはいられた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。

すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場でとらえられたひとりの女を連れて来て、真中に置いてから、

イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。

モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」

彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告白する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。

けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」

そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。

彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。

イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」

彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」 新約聖書 ヨハネ8:1ー11

このみことばには福音の奥義が示されています。

しかし、今はイエス様が言われた「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」と言われて、人々が年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエス様がひとり残されたこのことに注目したいと思います。

これが、私たちの現実であることは、あなた自身がご存知のはずです。

律法学者、パリサイ人、イエス様の時代に、私たちこそ神さまのみ心を行っていると自負していた彼らさえ、姦淫の女に石を投げる者はひとりもいなかったのです。

この十字架の福音を伝えた使徒パウロはこのように言っています。

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。 新約聖書 1テモテ1:15

聖パウロさえ、自分が罪を持っていることを告白しているのです。

私たちは生まれてからずっと罪を重ね続けているのです。そして年を重ねれば重ねるほどここで言われているように、年長者から初めてといわれるようにその罪が天にまで届くように積み重なっているのではないでしょうか。

また私もパウロのように、私は罪人のかしらですと言うしかないものです。

私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。 新約聖書 ローマ7:19

これが罪を持っている私たちの姿です。このことに反論したい多くの方がいますが、自分の罪を一つ一つ、生まれてからずっと数えあげれば自明のことではありませんか。

聖書は次のように断じています。

それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。 新約聖書 ローマ3:10

このような哀れな人間のために主イエス・キリストは来てくださいました。

十字架とは

福音の中心

しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。 新約聖書 1コリント1:23a

福音、もちろんみんながよく知っていることばです。良い知らせ、グッドニュース。この福音の中心が十字架です。

ネックレスにクロスのネックレスがありますが、このネックレスは格好が良いですね。

金や、銀、その他の身を飾るのにふさわしい材料でできています。ふさわしく身に付けていると、すてきね、格好いいわ、とか言われてネックレスをつけている人の心をくすぐる効果があります。

しかし、ここで言われている十字架は、これとはまったく反対のことです。

恥の十字架 

私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人を初めギリシャ人にも信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。 新約聖書 ローマ1:16

私は福音を恥とは思いません。と言っているのは十字架の福音を最もたくさん伝えた使徒パウロです。

このように言っているのは多くの人が、福音を恥と感じていたことをあらわしています。

なぜ十字架の福音が恥と思われるのでしょうか。

罪人がつけられた十字架 

実は、イエス・キリストが誕生され神の国を宣べ伝えておられたこの当時、重罪を犯して死刑にされる時にこの十字架が処刑のために使われたのです。

十字架は極悪非道な死刑にされても仕方のないような者のために使われたのです。

この十字架に、主イエス・キリストがつけられて死んだ。というのが十字架の福音です。

 


イエスさまの十字架

イエスさまが十字架につけられたお話は知っていますが、どうしてイエスさまが十字架につけられたのでしょう。

私たちにはわからないことが山ほどあります。しかし、イエスさまが十字架につけられたことは知っていなければと思います。

私が受洗したのは1979年12月23日でした。

受洗をしてから32年と3ヶ月経ちますがいつ受洗したかすっかり忘れてしまっていました。

あの時、私は夢中で何もわかっていなかったかもしれませんが、ただイエスさまに捉えられていたのでしょう。

イエスさまに対する情熱と言いますか、純情と言いますか、それは今考えても熱く燃えていました。

今、イエスさまは私に何と言われるでしょう。

わたしは、あなたの若かったころの誠実、婚約時代の愛、荒野の種も蒔かれていない地での私への従順を覚えている。旧約聖書 エレミヤ 2:2

また、使徒パウロはコリントの人たちに対してこのように言っています。

私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなた方を、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。

しかし、蛇が悪だくみによってエバを欺いたように、万一にもあなた方の思いが汚されて、キリストに対する真実と貞潔を失うことがあってはと、私は心配しています。 新約聖書 2コリント 11:2、3

ここで、パウロが心配しているのは何でしょうか。

パウロは、イエスさまが十字架につけられた。そのことを中心にみんなに伝えていたからですね。

この後を読むと、そのことがはっきりします。

ですから、私たちはイエスさまが十字架につけられたことについて幼児になって、学んでいきたいと思います。